2008年9月 8日 (月)

私とバイク 5

 すっかりコースを覚えなおした結果、卒検は無理なく終わり、すぐに免許証には普通二輪の欄にも1が入った。とりあえず免許を取っておくのが目的だったのですぐにバイクに乗るようなことはなかった。それより少し前から、MR2を買って通勤などで乗り始めていた。四輪もまだまだ不慣れであったため余裕がないのが実際だった。

 ところがすぐに誘惑がやってきた。そもそも、私の家から最寄り駅まで歩いていくのにいつもバイク屋の横を通っていた。学生の頃から毎日のように値札の付いたバイクを信号待ちで眺めながらああでもないこうでもないと考え事をしていたのである。免許を取ったので、いいバイクがあったら話を聞こうなどと思っていたが、そこに話を聞いてみたいバイクが現れた。VFR400Rである。

Vfr400r

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2008年9月 6日 (土)

ヒトはやはり滅びるのか、と思う

 私の仕事場にはアシナガバチの巣があった。小さな倉庫の入り口である。自転車やバイクの車庫にするつもりで設置した倉庫だが、シャッターはいつも全開のままで壁際だけにいくつかのものが置いてある。ほとんど物の出し入れはない。その倉庫の間口の上に屋根が少しだけ延ばしてあって、その軒下にアシナガバチが巣を作った。

 最初はひとつだったが、その巣を作り始めてすぐに女王はどこかで事故にでも遭ったのか姿を消した。そしてそのとなりに別のハチがもうひとつ巣を作り始めた。こちらの巣は比較的順調で、そのうちに働きバチが生まれて仕事をし始め、巣は徐々に拡大していった。

 私の職場にはのんきな者が多く、順調に巣が拡張され始めてから気が付いたのがほとんどだった。
「けっこうおっきいハチの巣があります!」
「知ってるよ。倉庫だろ?」
動物園と言うところには来園者が数多くやってくる。ミツバチくらいならよほど必ず接近するところでなければ「ミツバチの巣があります」と表示して近付かないように警告する程度に止める。しかしアシナガバチの巣となると撤去になる。スズメバチなら速攻で撤去される。「安全のため」仕方ないとされる。

 しかし私の仕事場である動物病院は非公開エリアで、そんな傍若無人にハチの巣あたりに接近する人はいない。出入りの業者も近付くところではなく、アシナガバチの巣があっても特に問題はなかった。

 話は変わって、最近は動物の保護に関してカネの問題を整理したがる人が増えてきた。以前から保護とカネの問題はなかったわけではない。そして、鳥獣保護法に基づく都道府県単位の「傷病鳥獣保護」においてなし崩しにされてきたあの問題を白日の下にさらす人が増えてきたのである。あの問題とはすなわち、取捨選択の基準化である。

 鳥獣保護法は狩猟法と対をなしたような法律で、野の自然を愛そう、ケガをした動物を助けようというやや道徳的な目的を持っている(と私は感じている)。「自然を大切に」の入口は、野山の草木を折らないことと動物を殺さないこと、破壊や傷病を見つけたら助けること、である。この法律に基づき各都道府県は保護センターのような施設を大小様々ながら持っている。ここには昔からカネの問題がくすぶっていた。

 保険もない動物の治療には実費で結構な金がかかる。保護は治療だけでなく維持飼育も必要である。餌やら入れ物やら、ケガなどしているとそのために余計な道具なども必要になる。いつも備えていてもいずれ壊れるため維持費がかかる。動物のこどもにはミルクやら小鳥の餌やり器やら成体とは違う餌も必要になる。チリツモで案外合計費用はかかっているのである。

 しかし都道府県はそこに大きなカネをかけられるとは思っていない。昔から予算規模はかなり小さい。たとえば神奈川県では丹沢方面で保護があり環境も良いため厚木市の山奥、七沢に「自然環境保全センター」を持っている。しかし都市部からそこまでケガや病気の生き物を運ぶのはたいへん。人口の多い横浜市では動物園が複数あることもあり、神奈川県から委託される形で保護を代行している。動物園にはこれらの保護動物を収容する施設が用意されている。

 用意されていると言っても神奈川県が建築費を負担したわけではない。動物園というところでは、傷病鳥獣が来ることによるメリットも多少ある。飼育担当者は様々な種類の生き物の飼育を経験することができるし、獣医師も多様なパターンの治療を経験する。on the job トレーニングのいい例である。市内での保護に対応することでもあり、動物園のひとつの仕事と考えることもできるので、実際と比較すると非常に少ない県からの委託費で対応しているのである。すなわち、かなり市が自腹を切っている。とはいえ横浜市の予算案は議会を通っているので、別に法外なことをしているわけではない。

 市街の動物病院に保護動物が持ち込まれることもある。獣医師法で特別な理由のない限り診療は拒否できないとあり、この摘要はやはり獣医師法に明記された家畜および小鳥等に限られるのかもしれないが、結局対応可能なら野生動物の治療も簡単には拒否できない。そうすると、野鳥の治療が可能な勉強家の獣医師ほどそういう場面で自腹を切らざるを得ないという事態が生じるのである。カンパでお金を集めてくれる持ち込み者もいれば、スポンサーを付ける獣医師もあるのだが、ごく少数である。

 けっこう人々の使命感と善意で支えられてきた保護事業だが、ここに来てカネの問題に声高になる人が現れた。というか、もちろんスポンサーを付けるような獣医師は以前から県に対して予算組みを実際に近付けて何とかしろというクレームは付けてきた。しかし最近の意見は「金額にあわせるために動物の数を効率的に調節しよう」という声である。すなわち、基準を設けて逸脱する動物は殺そうというのである。

 私はどちらかというとこの商売を「動物をいかに生かすか」という工夫をしようと思って選んだ。そういう仕事をしたいと思っていた。しかし近年、殺す仕事をどんどん増やそうとする合理主義者がガンガン台頭してきた感を否めない。外来種問題では正義の名の下に大量殺戮も是とする声が大きい。
 自然に立ち向かうことは難しい。自然を守るために施す術だと言っても、人がすることは「技術」である。技術は科学を元に人間がなし得る行為を指すが、技術は科学そのものではない。科学とは自然である。すなわち、科学を自分のものにしたと錯覚しても実際は技術をこねているだけで、自然には所詮太刀打ちできない。たとえ外来種であっても、彼らは野生生物である。自然の力には完全に抵抗できないのである。それをわかった上でどうするか論じなくてはならないのだが、合理主義者たちが合理主義者である以上、そんなファジーな話を理解するのは困難で、とりあえず一網打尽を目指す。そんな人たちの声が大きくなっている;。この業界でも新自由主義の台頭である。

 この新自由主義者たちは、殺す選択を「トリアージ」と呼び、殺すことを「安楽死」と呼ぶ。トリアージとはそもそも効率的に生かす選択(よりたくさんの命を救うために重症を前に軽症を後に整理する)のことであり、どれを先に殺すかという選択でこの言葉を使うのは誤っている。「逆だから同じこと」ではない。トリアージという言葉にはもっと命を重く捉えた哲学が含まれているのである。死の上に安楽を付けた言葉は、どうしても死を選ばざるを得ない状況に追い込まれた者に苦痛を与えず死を迎えさせるという最終手段の思いが込められている。「安楽死」を連発するのは核ミサイルを撃ち合っている状況のようなものである。その哲学を全く無視して、「安直死」にしてしまっている。どれにも命の重みなど感じ得ない、カネを中心とした合理主義だけがのさばっている。

 「ない袖は振れないんだ!」と強気に、そして自分は英雄の選択をしているのだと涙まで見せたりする。どこかで見たな、これ……コイズミさんとか、ハシモトさんとか、新自由主義の旗艦はおよそそんなパフォーマンスである。しかし、国や大阪府の借金しかり、そんなにふくれあがるまで借金ができている、すなわち、袖はなくなっちゃいないのである。本来だったらその仮の袖はボロボロになる前にある程度でしっかり修復しなければならないのだが、やっちゃいかんことに使い続けて借り物が増えていく。傷病動物の保護なんて、最近では車も増えてみんな車で持ってくるし、情報が増えて持っていく先をすぐに見つけるし、確かに増えてきているが行政の対応はそれにあわせて予算規模を大きくしていなくてはおかしい。逆に、削れるところだって増えているはずである。企業の工場や本社なんか誘致するのにカネを使っている場合ではないのである。

 そんな予算の矛盾には目を向けずに、これまでのいろいろな人の苦労を「ぬるま湯」呼ばわりして整頓ばかりしようとする。アメリカというかフリーメイソンばりのありがた迷惑、黒船以来日本は結局アメリカの植民地である。合理主義に染まって独自性を失うことよりも、日本の歴史と価値観に基づいた判断を尊重していくべきではないかと思うのであるが、果たしてこの機に便乗して保護事業を縮小しようと目論んでいる神奈川県は実質どのように変わっていくのだろうか。

 そして私は古い価値観ばかりを振り回す保守派、抵抗勢力か?私の普段の発言を見ればどうなのかわかると思う。

 それで私の仕事場のアシナガバチの巣は、私が休みの日に誰かが取ってしまった。御丁寧にとなりのカラの小さな巣まで取ってあった。動物園という、自然とヒトとのことを考えさせられる場所でありながら、ハチの巣と見れば状況も鑑みずにとにかく壊す。新自由主義者の合理主義なんてこんなものである。イスラム教徒を一掃して全世界の価値観まで統一しようとするグローバリゼイションをここにも感じる。そして、古くからつづく生き物のバランスまで壊していく。人間はもはや「野生動物の一種ヒト」ではない。しかし自然の中で生きていかなくてはならない。バランスを見失ってはいけないのである。

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2008年9月 5日 (金)

私とバイク 4

 二輪教習もいよいよあと1時間となり、余計な授業料を払わずに終えられそうだなどと考えながらバイクの横で教習開始を待っていた。冬の頃には雪の中で夜の講習を受けたこともあった。鉄板の上で滑った人もいて、停車時に私のブーツ(と言ってもただの安全ブーツ)は雪混じりの氷水にドボっと漬かって冷たい水が入ってきた。そんな中だったのであまり突き詰めて練習せずにハンコをついてもらった。とりあえず順調に進んで、教習所通いは予想よりも早く終わりそうであった。早春になり温かくなってきたのでそんな多少の苦労を思い出していた。

 すなわちこの日は卒業検定の「見極め」の日であった。バイクの教習は四輪と違って公道には出ていかないので、段階としてはふたつで終わりであった。第2段階の最終日である。

 指導員は登場してそれぞれに指示を伝えるが、私のところに来た時にはこう言った。「今日は最後の見極めだから、試験コースのふたつを順に回ってください。時間内のどこになるかわからないが、見られる時があったらついて回るから、とにかく回り続けていて。」第2段階に入った時に試験コースの回り方が2通り書いてある紙をもらって何度か走っていた。卒検ではそのどちらかをその場で指定され、回るように言われる。バイクは地図を見ながら走るのが難しいので、あらかじめコースを覚えさせられる。

 走る前にコースを見て覚えていた私は、とりあえず1番のコースを走り始めた。ところが、終盤にどの交差点を曲がって一本橋に向かうのか、ド忘れしてしまった。「このまま行くとコーンスラロームを2回走ることになってしまうし……?」2番のコースは覚えていた。とりあえずまた1番コースを走り始めるが終盤「あれ?」やはりどこで曲がるのか思い出せない。練習で何度も走っていたので体が覚えていると思っていたのだが……。

 そのうちに指導員のバイクが後ろについてきた。停止や確認の作業ができているかチェックしているようだが、忘れてしまったところに来てフラフラしていたら案の定指摘された。
「コース忘れちゃったの?じゃあ次回もう一回。」

 そんなわけでついに1時限分余計に出費していよいよ卒検となったわけである。

(つづく)

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2008年8月 9日 (土)

私とバイク 3

 就職に普通免許が必要なかった(というか就職してから取りに行けばいいと言われた)のはある意味奇跡的であったが、よく考えてみると運転免許を持っているかどうかが他の特技資格才能に優先されるのは確かに変な話である。
 同僚にやはり普通免許未取得がいたので、横浜駅の近くの自動車学校に通い始めた。仕事が休みの日(平日が多い)に通えば2-3時間ずつ講習を受けることができ、同僚は途中からややサボり気味になったので私はどんどん進んでいき、ストレートで卒業してしまった。二俣川でペーパーを受けて免許証を受け取った時に同僚はまだ仮免を取ったくらいだったので、私には時間の余裕があると感じた。仕事の後に夜最後の講習を受けることもできなくもなかったので、作りたての免許証を見ながら私の頭の中ではすでに二輪免許のことが現実味を帯びていた。

 私は二俣川から自動車学校に直行した。というのも、他の免許を取りにまた来たら割引すると言っていたからである。受付で普通二輪にするか大型二輪にするか聞かれて、今思えばさっさと大型二輪を取ってしまえば良かったのだが、普通免許も取りたてのまさに初心者であったため慎重に普通二輪を選択した。安いヘルメットまで受付で買って、いよいよ二輪への現実の道を一歩踏み出したのである。

 大学の頃にバイクの先輩たちから聞いていたが、やはり倒れたバイクを起こす話から始まった。四輪免許はどちらかと言えば安全運転のための講習であった。二輪は運転技術を得るための講習であった。そのあたりが大きな違いで、乗り方に不安がなくなれば卒業できる感じだった。

 シミュレーターなどもあってやや趣味の世界だと思う講習だった。受講者も四輪の時とくらべると明らかに若く、学生と一緒に受けている雰囲気が非常に強かった。ので、ある意味ラクだったのだが。いじられるのはおおよそ高校生だった。
 言葉で言われてもわかりにくかったのはスラロームでの操作方法だった。自転車ではいろいろやっていたので二輪の乗り方にはあまり苦労がないと思っていたが、動力が勝手に姿勢を立て直してくれるという感覚は最初全くなかったので感じにくい。指導員の後ろに乗って感覚を得ろと言われたが後ろに乗ってもそんなにわかるものではない。それでもクネクネやることはできるようになったので「やり直し」なしで講習は進んでいった。

(つづく)

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2008年8月 8日 (金)

私とバイク 2

 大学ではバイクに乗っている友人が何人かいた。貧乏学生の私は普通免許も取ることはなく、たまに必要に応じて後ろに乗せてもらう程度であった。バイクに乗る友人たちもそんなに裕福とも言い切れず、古めのあまり五体満足ではないバイクに乗っていた。それらのバイクは、ひどく羨むというほどのものではなかった。

 私はとある進学塾の契約社員として学費の一部を稼いでいたが、そこにはやや裕福な(というか容赦ない)同僚がひとりいた。稼いだ給料は全て自らの小遣いになっていたようであるが、WGPに痺れた彼はまず入口としてアプリリアのゼロハンレプリカを入手し、それで大学やら塾やらに通い始めた。原動機付自転車とはいえ、実に本格的なレース車のレプリカであるため速い。ピカピカのアプリリアにスーツでまたがり登場する彼は格好良かった。
 彼の容赦ない出費はそんなもので終わるはずがなく、間もなく原チャリは250ccに買い換えられた。今度は本物のレプリカであり、ハンパではない。御値段もハンパではなく、維持費もハンパではなく、比較的高いバイクとはそういうものか、という意味でいい先輩となった。でかいバイクとなればもっとかかるのだろうけど。

 私は大学生活の終盤でようやく新しい自転車を買い、ちょっと手を加えているような感じだった。大学を卒業する時も、まだ免許は取っていなかった。

(つづく)

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2008年8月 7日 (木)

私とバイク 1

 中学生の頃の私は、バイクにはあまり興味がなかった。
 友人の中には暴走族に加わっている者もいた。カスタマイズされたチョッパーハンドルのバイクの絵など描きながら、「湘爆」の話をしていた。私にはあまり関係なかった。

 ところが、1枚のポスターが私の心をくすぐった。SR-Xの広告が「ぴあ」の中に見開きで入っていた。「たまには心のサビを落としましょう」のコピーを従えて、赤茶色の析出がついた岩の露天風呂に漬かって顔を両手で拭う男の後ろに、脱いだ服を乗せた(体の)バイクがあった。バイクはもちろんピカピカで、銀色のシングルはそんな気楽なひとり旅を即座に想像しうる雰囲気を醸していた。その広告を何度も眺めながら、バイクのロマンなるものを感じずにはいられなかった。

 それからはなんとなくバイクの写真に目が行くようになる。高校生の頃はバブルの絶頂期。飲料会社が鈴鹿8耐に出場するワークスチームの広告スポンサーとなり、炭酸飲料のブランドの色にボディを塗った。それを記念して、バイクメーカーは市販車をレース車と同様の塗装にして応募者プレゼントとした。私も頑張って応募したがもちろん当たらなかった。250ccの2ストエンジン車の写真を毎日眺めながら、当たったらどうしようなどと空想を膨らましたものである。

 好景気だったせいかバイクの売れ行きもよかったようで、新聞の折り込みにはバイクショップの広告も入っていた。ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキ。貧乏人の私はバイク雑誌(高かった)など買う余裕はなく、広告の諸元を穴の開くほど見つめて比較していたものである。
 広告を見ながらVFRとCBRは乗ったらどんな違いがあるのだろうと考えてみた。レースレプリカもいいし、バンディットみたいなネイキッドもいいし。考えていると乗った時の景色が浮かんできた。しかしレースレプリカは前傾姿勢でメーターのほうを向いてしまう。「YAWARA!」のアニメをTVでやっていたが、松田耕作が乗っていたのはVFR400Rだった。レプリカをそんな町乗りに使ってしまうのが妙に格好良く、将来はVFRに乗りたいと思うようになった。そんなことを考え始めたら、そのうち時々バイクに乗っている夢を見るようになった。

 公道を自転車で走ることが多かった。移動手段として早く到着できるのはもちろん期待するが、バイクのように速く走りたいと思うこともあった。ギヤをガチャガチャと上げながら加速し、ブレーキランプを付けようかと考えてみた。免許なしで公道を移動できる乗り物が他にあったらいいのに、などと考えてみた。キックボードが流行るまでにはまだ10年以上あった。

(つづく)

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あくび伝達物質

あくびには伝達物質があるんじゃないか
http://indy-gadogawa.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_0453.html

人間のあくび、犬にも「伝染」することが判明=英研究
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080806-00000011-reu-int

ほら、類人猿でなくてもうつるでしょう。
研究したいんですけどねえ。
興味のある人はいませんかねえ。

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2008年7月16日 (水)

組織の人事の考え方

 私の職場で管理職になる人は、奉仕家か野心家のどちらかである。
 ヒラから係長に登用されるシステムがおもしろい。とにかく、自分から手を挙げないとまず係長になることができない。逆に、とにかく係長になりたい人が係長になる。
 かく言う私も2回ほど係長試験というものを受けた。受験資格のあるものはとにかく受けろと言われたので受けた。どうしても係長になりたいと思ったわけではない。だから2回とも試験勉強など1秒たりともしていない。試験は2通りの記述試験(1次)と面接試験(2次)だった。
 1回目の試験の時は、記述試験の回答で最後に脱線し、現状で私や同僚が現場を離れては大変だから、係長にするとしても現場の仕事から外さないように工夫するべきだと説教じみたことを書いた。そうしたらやっぱり1次試験で不合格だった。
 2回目の試験の時は、とりあえず1次試験をパスして面接試験で言いたいことを言ってやろうと思った。1回目の時と出題はおよそ似たようなものだったので、今度は説教部分を書かず本題のまま最後まで書いた。すると1次試験は合格だった。面接試験では「ついに年貢を納めて係長になるのか」と顔見知りの部長に質問された。なので「指定管理者制度で現場も人が減って大変だし、もっと現場の仕事に関わる係長がいなくてはならないということが常日頃言われている。私は現場を離れて所持資格とまるで関係ない仕事をするばかりが係長ではないと思う。」と意見した。後日直属の課長から試験結果を聞かされた時に「そんな風に言わなければ合格だったし、非常に残念だ」と言われた。これまたやっぱりと思ったが、全く納得のいかない話でもある。
 まず選び方だが、私の逆を行けば「何でもやります。とにかく係長にならせてください。」と言うのがどうやら満点らしい。この信用とビジョンのない人物が歯車のひとつに収まった時、そしてそれが課長部長と昇進するような時に、どんなオリジナリティ溢れる仕事を期待できるのであろうか。とても逸材をキャリアアップさせていくやり方には見えない。
 そして冒頭に書いたとおり、自らを候補にするのはとにかくお節介な奉仕家か、とにかく人の上に行きたい野心家か、である。組織が「この人になってほしい」というのは、本人が積極的に立候補するかどうかの次になっている。係長のモチベーションも大切だとは思うが、同僚やその周囲が係長になってほしいと思う人物とその希望者が同じとは限らない。周りのモチベーションが上がるかどうかは組織の今後に関わる。人気のないただの野心家が自己満足の係長席に座った時、組織の崩壊は始まる。私の上司たちは、現実に人の言うことなど聞こうともせず、とりあえず右の耳から左の耳に通過させることもあるが自分の言いたいことに従わせることだけを終始目的として相対する。会議も相談もただひたすら時間の無駄である。
 組織はどんな人を中心に据えたいのだろうか。仕事のやり方や職場内コミュニケーションの取り方、中間管理職としてうまくやれる調整のしかた、そんなものを評価して最も優れた人にとりあえず係長になってもらうのがいちばんいい選択だと私は思う。しかしその選択権は、本人が立候補するかどうかで全か無かの両極端に分かれてしまう。それがこの立候補制係長試験である。
 係長の存在をどうとらえているのか。現実には管理者、責任者という使い方より、現場から剥がして現場とは違う仕事を分担させている。管理職というよりは業務分担の種類のような使い方が目立つ。本来の管理職の仕事として、部下たちに対する調整や仕事の振り分け、評価と修正といった「人のうまい使い方」のできる人が理想である。しかし嫌われ者が自分の野心で立候補してその役についてしまったら、威張って押しつけるだけ、自分の仕事まで人に押しつけてサボる。まさに目も当てられない事態である。
 組織は適材適所を見極め、ポストに最もふさわしい人材を探して据える働きを持たなくてはならない。そうでなければ、そのポストと仕事は共倒れになり、組織内の信頼もモチベーションも得られないわけである。せめて全員が係長資格試験を受け、合格して係長になる資格を持つ人の中から良い人材を選んで就かせるというのならまだわかるのだが、そういった人材登用の工夫というものが私のいる組織では考えられていないようである。親玉自治体の真似をするだけ、だそうである。同僚たちも好きな仕事だけを選んでそれに専念できるように他の仕事を極力サボろうとするような意識の低い職員が少なくないので、私は現場に残ろうが係長に昇進しようが不安の種は尽きない。組織もあてにならないし、いっそ転職しようかと本気で悩んでいる今日この頃である。
 (私はこのくらいのことは考えていますよ。オファー待ってます。)
  ↑そんなこと言ってもアクセス数少ないから……

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2008年7月 8日 (火)

フェリペ・マッサ

 雨が降ったら、インターミディエイトではなくエクストリームウェットをずっと履かせてあげたほうがいいと思う。

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2008年6月13日 (金)

大阪庶民の「橋下中毒」

 大阪の庶民が一度心を許すと、その期待の大きさには執念のようなものを感じる。

 橋下さんのやり方はかつて小泉首相がやっていたのとほぼ同じである。単純な言い方で危機感を煽り、私は大胆に変えるとアピールし続ける。「公務員」という仮想敵をつくり、こいつらをやっつけるからみんなで少しずつ痛みも分け合おうともっともらしいことを言う。

 が、小泉首相の遺産はその代表格が後期高齢者医療費負担である。聖域なき構造改革とは聞こえがいいが、その実態は「これまでの聖域を侵略し、違う聖域を作る」という聖域移しであった。弱者保護の聖域を壊しておきながら、実は資産家や企業に対しては税制などで緩和策が行われていた。全体一律の平準化と言えば聞こえはいいが、金持ちも貧乏人も同じだけ負担をかける、すなわち金持ちにはそんな端金痛くもないが貧乏人には大きな負担、そんな「誤った平等」を本当に実現してしまった。

 確かに小学生でも思いつくような単純な「平等」観念である。わかりやすいから学がなくても簡単に賛同しやすい。マスコミも本当のことを説明しようにも手間がかかり、説得力が問われる報道など当時は面倒で結局できなかったというところか。当時騒がないでなぜ今騒いでいるかと言えば、当時は「それでもまあいいか」と資本家の応援を受けたかった民主党が「野党の仕事」に目覚めて騒ぎ始めたからである。スポンサー頼みの報道はここまでに成り下がったのか。

 公務員の給料はもらいすぎだ、他はみんなもっと安く働いている、もっとたいへんな思いをしている。実態としてそうなのだろうが、「自分が虐げられているのになぜあいつらは恵まれているのか。あいつらも虐げられるところを見たい」とサディスティックに足を引っ張る姿勢に納得できるところは何もない。少し冷静になって考えればすぐにも気付きそうなことだが、「自分ではどうしようもない」「そういうものだ」「従うほかない」と「民間の人」たちは「民間ではそんなものだ」という前提で話をするため話はそれ以上のレベルには行きようがない。

 いつから民間に自由がなくなって公務員だけに自由があるという「労働者」の立場になったのだろうか。本来、労働者には権利が認められており、それゆえ雇用者だけの意見が通用しないはずなのであるが、いつしか実質的に労働組合が対等に渡り合えるのが公務員だけになってしまった。民間の組合はほとんどが御用組合である。

 ひとつには人事院勧告が世の中の給与レベルの最大基準となった現実がある。景気が良くて、公務員の給与を基準にしてそれに準じることが目標となっていた。しかし、バブルの頃には実績の良い民間が公務員を大幅に上回ることが生じた。それ以来、公務員の給与は目標でも歯止めでもなくなっていった。その結果、何気なく給与レベルを下げていく、雇用条件を下げていく、負のスパイラルは進み、変化が少ない公務員の給与を羨む状態へと進んでいったわけである。

 つまり、公務員は状況に甘んじてきたかもしれないが、民間はまんまと罠にハマり続けてきたようなものである。被害者の顔をして悲嘆するのは悪くないが、橋下さんは口答えする府職員に対して「民間ではあり得ない」と宣った。民間では口答えするとクビになるのか。そういうものと言ってのけるがそれでいいのか。雇用者の言うとおりにしなければその仕事は辞めるしかないのか。雇用者の言い値で雇われるしかないのか。

 雇用者だけの責任でもない。そんな給与レベルになるのは諸々の社会事情が絡んでいる。価格破壊がいちばんの強みである現在の社会では、モノとサービスを安くする→そこで働く人の給与レベルが下がる→給与が安いから安いモノしか買えなくなる→安いモノに人がたかる→みんな安くしようとする、というまさに負のスパイラル、そこには政策が大きな影響を与えている。

 つまり、経済破綻は自然に起こったものではない。政策が起こしているのである。しかも、「改革路線」はこれに拍車をかける。このやり方では、庶民は足の引っ張り合いを続け、金持ちはより優遇されていく。中小企業はますますつらくなり、大企業は余力を積み上げていく。格差社会一直線である。

 「橋下流」はその流れの究極であるのに、大阪府民はいつそれに気付くのであろうか。タレント人気も、自制心のなさと言えてしまうかもしれない。

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