2009年11月27日 (金)

証拠のない強気

 どうも痴漢冤罪の撲滅にはまだまだ遠いようである。

 今日ニュースで見た痴漢冤罪の逆訴訟、冤罪で訴えられた(本人主張、刑事裁判では証拠不十分で不起訴)人が「被害者」女性を民事裁判で訴えたという特集で、この件ではとにかく女性は守られるという大原則のようなものを見た。

 確かに女性は弱者であり、本物の痴漢がのさばるような事態は絶対に避けなくてはならない。しかし、この件はどう見ても胡散臭かった。男性は女性に電車の中での携帯通話を注意しており、電話の相手も裁判での証言で注意されている状況はわかったが痴漢被害に関する言葉や反応は全く聞いていないと言っている。状況から考えるとこの女性が注意されたことに対する逆ギレで痴漢行為をでっち上げた可能性が小さくない。もしそうだとしたら卑劣であり犯罪である。

 しかし高裁の差し戻し審理では、男性が痴漢行為を行っていないという主張は認めた(差し戻しでようやく)ものの、女性も一貫して被害を主張しているので名誉毀損は認められない、という矛盾したものになっている。こんな判例しかできないのなら、女性は気に入らないことがあったら「痴漢行為をされた」と叫べばどんなわがままも通用することになる。

 裁判のテクニックの問題かもしれないが、心理学的には一度嘘をついた人がそれを何度も繰り返し言い続けることにより本当にあったと思いこんでしまう可能性もあり、そういった鑑定も必要になるかもしれない(自己矛盾を何らかの形で引き出さないといけないのでかなり難しいと思うが)。弱者を守る原則は決して崩せないとはいえ、「女の武器」を使う卑劣な行為を許すような事はあってはならないと思うのである。

 ちなみに私は、緊急でもないのにマナー違反の車内通話をしている人は信用できない。注意されても通話を続けたり繰り返したりするのならなおさらである。

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2009年8月 5日 (水)

公平な裁判

 裁判の根本が勘違いされていると思う。

 裁判とは、法を以て裁くことを言う。法が裁くのである。人が裁くのではない。

 劇場型裁判とか、裁判官への印象とかいうテクニックがもてはやされているように見える。裁判官もとりあえず人なので、多少は印象などに左右されるところがあってもやむを得ないと言えるかもしれない。しかし彼らもプロである。プロなら、冷静で客観的に裁判を行うことをまず心がける、いや心に背いても客観的たる考察を行わなくてはならない。裁判官本人が「人間だから」なんて言い訳をし始めたら潮時だと思わなくてはならない。

 裁判は劇場でもゲームでもない。勝ち負けを競っているのではなく、事実を明らかにして事実に応じた判決を行うことが目的である。ほしいのは事実だけである。演出はいらない。

 検察の刑事事件の扱い方は明らかに勝負事になりつつある。検察は起訴した被告をいかに有罪にするか、いかに重い刑にするか、それが業務評価にでもなっているのだろうか。冤罪でもやりすぎでもとにかく有罪で実刑でより重い刑を求めているかのようである。そんな勤務評価があるとすれば、問題にするべきであるし即刻やめさせるべきである。なぜならそれはリアルに目標とはズレているからである。

 真実を明らかにし、被告が法において受けるべき刑はすべて受けさせるようにするべきである。どうあっても、裁判は真実を求め、その真実に応じた量刑としなくてはならない。量刑を決めるのは人間ではない。法律に求め、法律に従って量刑を決めなくてはならない。

 被害者遺族が刑事裁判に参加すること自体は否定しない。それにより、被告の反省の程度や、場合によっては被告が感じていたプレッシャーなども明らかとなり、感情的にならずに被告検察の双方の主張の信憑性なども検討する材料が増える。

 裁判員は感情に流されることなく、まさに第三者として双方にツッコミを入れなくてはならない。不要で過剰な演出も緊張感も必要ない。増して裁判官へのアピールもゴマすりも要らない。

 ドラマチックでグロテスクな裁判など要らない。現在行われている裁判の裁判員が行ったという質問の姿勢は流されることなく、その裁判員は目的とする裁判を行えていると思う。問題は審議なのだが、小手先勝負が通用せず、真実のみを明らかにする姿勢を忘れないように行われることを祈るばかりである。

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