2013年9月 1日 (日)

ビールがもったいない

 のどが渇いている時に、その後ビールを飲める予定があるとして、ビールにありつく前に他の飲み物を飲むことが「もったいない」という人がいる。理屈としては「最高に乾いた状態で飲むビールが最高に旨い」ということらしい。
 私は逆である。「ビールの前には過不足なく水分を飲んでおきたい。むしろのどが渇いていたらまず旨い水を飲みたい。」
 ビールはアルコールの割合が少なく、水分が多いのは間違いないが、私のような日本人にとって酒であることは間違いない。ドイツ人には水かもしれないが。
 酒である以上、これを飲んでも飲んでもアルコールの分解に多くの水を使う。つまり、熱心にビールを飲み続けても乾く一方。最終的にはコップ1杯の水がかなり旨くなる。
 この話をする時に思い出すことがある。十数年前、町田の炭火焼き肉屋に行った時のことである。進学塾の講師の仲間たちは旨いホルモンが食いたいので、たれで味付けされたホルモンをビールで流し込んでいた。しかしそのうち何かが足りないことにみんなの身体が気付いた。切望するそれは何か?我々はビールで潤っているはずだったのに、濃い味のホルモンのたれをビールで流しているはずだったのに、それでいい感じがしなかった。そこで頼んで、出てきたのは白いご飯。
 このご飯を口にした我々は全身でその感覚を受け止めた。「このご飯こそが潤いだ!」ご飯を口に入れるとなんとスッキリしたことか!ご飯がなくちゃダメなんだ。
 ここで安易に「日本人だから」などと言ってもらいたくない。日本人だからご飯を潤いと感じだのではない。日本人だからご飯という解決策に気付いたに過ぎない。どんな民族でも、濃い味のたれに付けたホルモンを食べている時に潤いを与えられるのは銀シャリなのである。
 のどが渇いている時にご飯ではないのだが、ビールでは本当の潤いは得られない。ビールを本当に美味しく受け入れるには、身体には充分な水分が必要なのである。「空腹は最上のソースである」という言葉がある。モガミではなくサイジョウ。五月雨を集めて速し最上川。タマネギを炒めてハヤシ、デミグラス。口渇がビールにとって美味しさの演出であるかもしれないが、ただの水だってビールを美味しく飲むための演出になるのである。
 武田鉄矢さんによれば、「恋いに悩んで考え込むより汗を飛ばして走ってみろよ、ただの水さえ美味く飲めるから」と遙かなる人が言っていたらしい。なんだ、口渇時にはただの水が既に美味いんじゃないか。
 いずれにしても、悪酔いしたり頭痛を起こしたりしないで楽しくビールを飲むには、体内に水分をちゃんと入れてから乾杯することである。酔いつぶれて水を飲まないから次の日に辛くなる。飲んでも飲んでも潤わないようなもったいない飲み方をせずに、旨いビールをよく味わって飲もう。

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2009年12月30日 (水)

正月にうどん?やめましょう。

 正月にうどんという習慣をメーカーや小売店が売り込んでいるらしい。

 私もうどんは好きである。スーパーJチャンネルで轡田さんが言っていた。マカロニのルーツは中国のうどんだと言われているとか。讃岐や稲庭のコシのあるうどんも、九州のべちゃっとしたうどんも、どん兵衛も赤いきつねもうどんですかいも好きである。

 しかし、である。小麦の大半は輸入である。讃岐うどんのコシはオーストラリア産でないと駄目だという。コシの強い讃岐うどんは昔ながらの日本の文化ではない。国産小麦をがんばって使うならともかく、食糧自給率をあえて下げる慣習を新たに作り出すのはいかがかと思う。

 轡田さんも諸手を上げて大歓迎、という風であった。そんなに簡単でいいのだろうか。

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2009年6月12日 (金)

エンドウマメの許容度

 JR東海パッセンジャーズの「焼売炒飯弁当」を食べた。
 開けてまず目に付いたのが豆の存在である。豆はチャーハンの上に集団を形成していた。ちょうど避難訓練で校庭に集められたこどもたちのような雰囲気である。その隣には紙の仕分け皿に乗った紅ショウガがいる。
 ショウガはつけ合わせなのでそのような隔離に会うのはいわば運命であるが、豆は本来そういう立場でもない。だが混ぜられていないのにはいくつか理由が考えられる。
 私がすぐに思い当たったのは、エンドウマメの許容度である。世の中には大きく分けて2種類の人間がいる。豆が嫌いな人と、そうでない人である。豆が嫌いな人は、とにかく豆の混ざっているのが許せない。だからチャーハンを食べるときにものすごいスピードであらかじめ豆とそれ以外に分離させたり、スプーンやレンゲですくいながら見事に豆だけが別方向に転がっていったり、そんな技を持っていたりする。豆を完全に残す人もいれば、j豆だけ先に食べてしまってすっきりした顔の人もいるし、なぜか「混ざっているのがいやなものだから……」と言い訳しながら後で食べている人もいる。
 あらかじめ豆を混ぜておかなければ弁当としての嫌われかたも軽度で済む。豆を分けるのが面倒だったと思えばリピーターも減る。豆をより分ける作業が続くほど、「次は別の弁当にしよう」という考えは徐々に大きくなっていく。心理学上、当初の印象がプラスなら繰り返すごとにどんどん好きになっていくし、逆にはじめに嫌だと思ってしまうと繰り返すたびに嫌悪感は増していくことがわかっている。戦略として、まず少しでも好印象を持ってもらうことが必要なのである。
 そんな下心(?)を感じながら、私は炒飯を口に運び、すぐに豆も口に入れる。茹でてある豆でけっこう軟らかい。弁当なので炒飯の米はそんなに軟らかくない。ボロボロと米同士が離れるようでは箸で食べることができないが、この弁当の炒飯は適度に塊になり箸で容易にすくえる。となると、豆が米の中に混ざっていると崩れてしまいやすいかもしれないし、分別したい人にとっては分けにくいかもしれない。
 シュウマイに豆がついているとこれまた一生懸命分離しようとする人がいる。が、肉シュウマイにもエビシュウマイにも豆は入っていなかった。
 すべて食べ終わってから、はたと気づいた。最近チャーハンといえば円卓で大勢の人と分けて食べる機会ばかりだったが、ラーメン屋のチャーハンを一人前頼むと山型に盛られたチャーハンの上に豆が載っていることがあった。そうか、分離はこの弁当だけのアイディアではなく、そんな前例を知っていながら忘れていた。かっこいい例えでシメようと考えていたのに、そんなもので終わりである。

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春子鯛と書いて

 春子鯛と書いて「カスコダイ」と読むらしい。
 春日「かすが」や春日部「かすかべ」など日の字が春に続く場合には合わせて「かす…」という続き読みをするという認識はあった。しかし鮨屋で「これでカスコダイって読むんですよ」と大将に言われた時におやおやと思ったのである。
 しかもそう呼ぶ理由というのが、春先に採れる小さな鯛だから、と来たものである。なぜハルコダイと呼ばずカスコダイなどと呼ぶのか。そもそも「カス」なんて進んで使う言葉ではない。賭け事の好きな江戸の町民は「摩る」(有り金を全部使い果たす=損をする)という言葉の縁起が悪い、とスルメを「アタリメ」に、すり鉢を「アタリ鉢」に言い換えたりしていたという。スリッパをアタリッパ、スリランカをアタリランカというのは落語のときに使われるボケなのだが。スリジャヤワルダナプラコッテはアタリジャヤワルダナプラコッテ。ゴマすりはゴマ当たり。
 カスとわざわざ言い換えることは考えにくく、別の意味があってカスと名が付いたのかもしれない。もしかしたら逆に悪口でカスと呼ばれていた可能性もある。小さくて価値が低いと言うような、そんなカス呼ばわりだったのを、せめて品を良くするために強引な当て字に走ったとはありそうな話である。
 いずれにしても、カスコダイの昆布締めはまろやかな味で実に旨かった。

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2008年5月21日 (水)

カニ食べ過ぎ

 節足動物は、実に魅力的である。

 ファーブル昆虫記を読むと、アフリカでカミキリムシの幼虫を食べる話とか、フランスの地方でセミの「蛹」(セミは微妙に不完全変態なので正しくは終齢幼虫)を食べる話とか出てきて、どうやら美味らしい。どちらかというと焼いて香ばしいとか、そんなイメージである(私の中では)。

 私もとにかくエビカニは好きである。ダンゴムシの群れているのを見ると、もしかして炒めたらエビピラフみたいな味にならないかとか想像してみたりする。なんと言っても日本人はあのシャコを食べてみたのである。ダンゴムシくらいそんなに冒険ではない。

 大和市の鶴間には市役所があり、その近くにはかつて広大ないすゞ自動車の敷地(関連会社の「車体工業」)があった。そこの体育館はよくプロレスの興業に使われていて、プロレス団体の広報カーが時々走っていたものである。ワールドプロレスリングでも「車体工業体育館から中継」とか見たものだ。
 そのいすゞが工場をやめ、空き地にイオンとイトーヨーカドーが並んで総合ショッピングモールを作った。そのオープンのときには、ジャスコとヨーカドーの食料品売り場でセール合戦だったわけである。タラバガニ1杯が\1200くらいから始まり、4日目には\800とかだったと記憶している。私の母親は、たとえ他の食材より高くても「高いものが安売りしている」となれば買ってしまう性質なので、毎日タラバガニだった。
 2日目くらいまでは何事もなかった。3日目にはなんだか少し腹の具合がおかしい気がして、4日目には食べ終わった頃から腹痛に苦しんだ。
 その時は食べ過ぎくらいに思っていたのだが、それからしばらくして居酒屋でカニ料理を食べたら、その夜から次の日の午後まで腹痛に苦しんだ。どうもカニアレルギーになってしまったようである。

 それからおそるおそるの実験により、タラバ以外のカニ(というかタラバはヤドカリだが)は平気であることがわかった。ワタリガニやズワイガニなら大丈夫なので、最低限の被害ですんだというか。

 カニの押し売り通販被害があるとニュースに出ていた。うちにも電話があって、取るなり「今なら高価なタラバガニが半額で」云々まくし立てた。ようやく口を挟む隙ができたので、「あのー、うちはカニアレルギーばかりなので」と言ったらあっさり引き下がった。本当にかみさんも触ったところとか耳の奥とかがかゆくなるという甲殻類アレルギーである。まあ押し売りもアレルギーには太刀打ちできないようなので、作戦としてお試しあれ。

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2008年2月23日 (土)

小豆あんのイチゴ大福が食べたい!

 小豆あんのイチゴ大福が食べたいのである。

 白あんのイチゴ大福は見た目にきれいだし、上品なのだろう。しかし、私が食べたいのはあんみつの果物のように、普通に小豆あんがあって、そこにイチゴが来るという意外性とベタ甘対さわやかクエン酸のコラボがほしいのである。

 かつて高校の帰りに通り道(踏切近く)の青柳で買って食べたイチゴ大福は絶品だった。それは、普通だからこその良さであって、有名な和菓子屋が上品に作った良さとはまた違う味わいなのである。

 近くで探しても小豆あんのイチゴ大福になかなか巡り会えない。また高校近くの青柳に行くしかないのか。がっかりの日々は続く。

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2007年4月27日 (金)

実は誘惑に弱いのか

 先に言い訳しておくと、たまたまである。

 「かき込むべし!ではなくて」に書いたようにモスバーガーを食べた翌日から、実は新モスバーガーが発売開始だった。折り込みで割り引きチラシなんか入っていたから、気にならないはずがない。

 今日はまた休みで、最近忙しくて疲れているため午前中は寝ていたが、出かけるついでに新モスバーガーを食べてみようということになった。店に行ってから発覚したのだが、うちのかみさんはモスバーガーで「モスバーガー」を食べたことがなかった。他のメニューばかりだったというのである。旧モスバーガーをもはや食べる機会はないのであろう。
 トマトのソースにマヨネーズ、かみさんが好きなものの組み合わせのはずなのに、なぜ食べなかったのだろうか。

 今日は娘が急に店で食べると言いだした。最初は引地川沿いの緑地で食べるつもりだったのだが。店で食べるとなるとあまり品のないことはできない(やりにくい)。となるとモスバーガーを食べた後に包み紙の中に残ったタマネギとソースをポテトに付けて食べることで片付ける。できれば全てのソースをハンバーガーの一部として食べたいが、ポテトも役に立つものである。

 引地川に行ってからはのんびりと散歩していたが、バラ園の土に小さな穴が多数開いていて、穴の周りで落ちていた木の花をカサカサさせていたら案の定ハンミョウの幼虫がそろそろと顔を見せた。時間に余裕のある時でなければハンミョウと遊ぶ(向こうは食うか食われるかだが)ことなどできない。ゆっくりの休日だった。

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2007年4月12日 (木)

かき込むべし!ではなくて

 ファストフードは考え方としては好きではない。もちろんあまり食べない。でもハンバーガーは嫌いではない。というかむしろ好きだ。しかしそれが食事に多くなることは健康に良くないことはよくわかっているし、私の理性は健康を損なってまでも食べたいとは思わない。

 が、時々は食べたくなる。今日はカゼっぴきなので家にいたが、昼食にかみさんに買ってきてもらった。モスバーガーにモスチキン。モスバーガーは好きだ。

 モスバーガーとビッグマックは一気に食べなくてはいけない。「食べるべし」とかいう精神論ではなくて、そうやって食べないとソースがもったいなく残ってしまうからである。家で、あるいはひとりで食べる時にはすすりながら食べることも。そう、あとに残ったソースだけをもったいないからすするというのは納得いかない。紙を広げて、こぼれたソースを本体でぬぐい取りながら食べることもある。

 一気に食べてしまわないとうまく食べられないから「ファストフード」か?一気に去ってしまうのはやや寂しいが、次に味わうのはまた2-3カ月後くらいだろう。

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