2009年4月18日 (土)

マスコミの「客観性」はどこに?

 東京のオリンピック招致はいつから総動員になったのであろうか。

 今日は休みだったので朝からいろいろテレビを見ていたのであるが、どの番組を見ていてもオリンピック招致活動を報道しているのか広報しているのかわからない。そもそも招致を広報するタレントをあれだけ動員しているのだから、何もマスコミが盛り上げる必要などないのである。

 ではなぜマスコミは情報番組や報道番組でまで盛り上げ役に走るのか。サッカーやオリンピック、最近ではWBCなど世論は国の代表戦だと案外一致団結して盛り上がりやすい。それは逆に普段与党と野党とか、国内リーグのチームとか、内部で対立や競争があるのだが、どこかで団結したいと思っている節があるのだと言える。マスコミもそこに気が付いているし、何よりマーケティングに関わる人間がそれをよく知っている。「応援する→盛り上がる→イメージが上がる→関わっているものが売れる」という流れはすなわち最大のマーケティングである。イチローがメジャーの1チームで活躍するのもボチボチ売れるが、日本代表で活躍してアメリカや韓国をやっつけたほうが桁違いに売れるのである。

 マスコミはスポンサーにより成り立っている。あの公共放送でさえ最近はそのマーケティングにうまいこと乗っている。「ちい散歩」(ANB)のように小紀行番組かと思っていたら(かなり不自然だが)スタジオで普通に通販グッズを褒めちぎるCM番組になっている。番組制作費がおよそスポンサー次第になっている近年の番組制作においては、スポンサーが広告費を出し続けてくれるかどうかが番組存続を決定的にし、単に視聴率や聴取率が高くなるだけでは良しとせず、その高い時にいかにスポンサーの商品を露出できるかが勝負となる。盛り上げてCM突入など序の口で、盛り上げてCMが明けるともう一度盛り上げでもう1回CMなどというしつこい手もあり、その調子でクライマックス=終了間際に短い番組とCMの応酬となる事もゴールデンなどではよく見られる。ついでにまだ続くと見せかけて次回予告だったりして、次の回も見てもらえるようにしつつギリギリのところでCMかスポンサーバックとなる。

 要するにマスコミは番組制作費を稼ぐ手段としてスポンサーを使っていたはずなのだが、いつしか主客転倒となりマスコミがスポンサーに支配されている。サラ金のコマーシャルに出るなんてタモリらしくないと言われているが(タモリらしさというスジがあるのかどうかは本人に確認しないとわからないのだが)、「タモリ倶楽部」(ANB)のような自由な番組がある程度視聴率が高いのにもかかわらず時々番組スポンサーがなくて、スポンサーを付けるためにCM出演を決めたんじゃないかなどと想像してみたりする。

 そんな関係ではもはやマスコミュニケーションではなく、マスアドバータイズメントであり、すなわちプロパガンダにいつでも転向できるというかすでにそうなっているのがこの総オリンピック広告ではないかと感じる。反対運動の様子をチョロッと映したかと思うと、その人たちがIOC委員に見えないように随伴バスで隠したなどと「でかした」風にナレーションが入ったりする。「もてなし」で「上機嫌のように見えた、好感触だと思う」なんて選手に言われるIOC委員もバカにされたものである。要は「うまく騙せたかどうか」というのが主軸のようだし、確かに過剰接待が4年ごとに問題視されているのも事実であるがマスコミは指摘するよりそれを煽るのか。

 「異端児」っぽい雰囲気で売る「サンデージャポン」(TBS)も橋下大阪府知事の話題になるとなぜか味方で「がんばれ」的な事しか言えない、これはまさにプロパガンダである。橋下氏はすでに公人で大阪府という政府の代表である。こうなればマスコミは大政翼賛状態だが、「異端児っぽさ」が同居していては視聴者をますます騙しやすい。手段でなく目的化したスポンサーはマスコミを凌駕したが、手段でなく目的化してしまったマスコミは民主主義にとってもはや脅威である。

 オリンピックを東京に招致したいかどうかと聞かれれば、近くで「もし」見られれば見たい気もするが、多分見ないと思う。ワールドカップの時に、確かに近くで試合が開催されたが近付きようがなかった。買えないチケットをどうやって入手するのか。これは近くてもほとんどメリットがない。CMで「こどもに見せてやろう」などと言っているが見せられる可能性はかなり低い。テレビで見るなら盛り上がり具合はどこでやっても同じである。つまるところ東京でやろうがやるまいがあまり関係ないのだが、無駄な金を使うくらいなら他に使うところがあるだろう、と思う。そもそも借金が多くなっている自治体や国が今後維持していくためには、お祭りでなく地道な計画性が必要なはずである。ちょうどタモリ氏がCMで言っているように、である。

 オリンピックをこどもに見せたいと言うのなら、まだ開催していないマドリードかリオデジャネイロのこどもたちに見せてやりたいものである。東京では築地市場のようなものを大切にしてこどもたちに見せてやりたいとも思う。今の日本に必要なのは、一時的なお祭り騒ぎの盛り上がりではなく、持続的な日常の生活の盛り上がりである。そして、客観的な報道のできるマスコミである。国の代表だから応援するとか、政府関係のプロパガンダとか、わざとらしくて鼻につくだけである。

 そんな自己反省の足りないマスコミの現状にあって、金曜ナイトドラマ「名探偵の掟」(ANB)は探偵ドラマの典型をパロったという視点が面白かった。皮肉にも、1億3千万総オリンピック作戦のその日に、ステレオタイプをいじった番組の第1回であった。

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2008年2月 3日 (日)

読売に珍しく?ナルホドな社説

 ネタはグランドプリンスホテル新高輪が日教組の予約を一方的に取り消した一件である。

 地裁と高裁で一方的な解約は認められないという判断が示されたのにもかかわらず、結局他の予約を入れるなどして日教組の使用を「妨害」したらしい。これでは社説に書かれた「右翼の思うつぼ」どころか、プリンスそのものが右翼よろしく妨害活動を行ったのも同然である。損害賠償請求だけでなく、妨害活動として刑事告訴もあり得るかもしれない。裁判所の命令を無視しても何もないのでは、三権分立は成り立たなくなる。罰則規定も必要ではないか。

 しかしこの社説、読売らしさが取って付けられたように挟まっている。妨害活動は右翼だけでなく左翼にもあって、新潟市のイベントで上坂冬子さんの講演が中止になったとか櫻井よしこさんの講演イベントが中止になったとか付け足してある。これは最初の原稿になかったが「右翼だけ批判するような書き方はよろしからぬ」と「意見」がついて付け足したのではないかと想像するが、どうなのだろうか。

 わからないのは日教組と右翼の頑張り具合である。日教組の最近の動向といえば、連合よろしく中途半端な主張や行動が目につき反体制どころか半体制とでも言えるような団体だと思える。教職員組合にはもっと骨や筋のある団体が別にある。にもかかわらず右翼団体の街宣がそんなに来るというのは、昔の惰性でやっているとか最近の変化が理解できていないとか、なんか勘違いな雰囲気を感じざるを得ない。そこに来てプリンスのこの態度なので「みんなちょっと不勉強かもしれないなあ」とどうも首をひねりながら見てしまうところである。いずれにしても年1回の運動会みたいなものなのか。うるさい学祭とでも思って見ていればいいのだろうか。

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2007年11月30日 (金)

マスコミの大政翼賛状態?

 国会は汚職事件の責任追及で盛り上がっている。社会は動機不詳の殺人事件に注目している。経済は偽装と物価上昇という具合。

 どの新聞を見ても、テレビのどのチャンネルをつけても、同じニュースに同様に重点を置いて時間を割いている。はたして他に重要なニュースは無いのだろうか。

 小泉政権の頃、郵政民営化に注目が集まっている中で、広く市民に関わる重要な法案が淡々と可決されてしまっている。安倍政権時代には強行採決の山。しかしマスコミはそれぞれに深く掘り下げていたとは言えない。

 ニュースでさえも人気と視聴率を中心に選ぶ時代なのか。小泉改革は「優先順位」により物事を明確に差別し、優先されるものしか対処しない。多数派により支持される物事だけが注目され、少数派は半ば消されていく。政党も大政党だけが議席を得て議会で発言できる。
 マスコミのネタの取り上げ方はこの手法に近付いていると言える。このまま報道内容は二大政党状態、いや大政翼賛状態になっていくと言っても過言ではない。そもそも報道の自由競争というのもそんな人気に傾いたものではなく、いかに独自色を出せるかというクリエイティブな戦いではなかったか。報道に関して言えば、今やチャンネルはこんなにたくさん要らないとも言える。

 現在の国会でも、マスコミが報道しないままに妙な法案が通ってしまわないことを願わずにはいられない。

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2007年2月 8日 (木)

今さら何を

 私の通常サイトのプロフィールには、「あるある」開始当時から嫌いなものに「発掘!あるある大辞典」(ほんとは大事典、当初からミステイク)と書いてある。胡散臭いとか遠回しなものでなく、論理構成が完全に「騙しのテクニック」だったから。

 マスコミも大したものである。これまでに本が発行されたり、取材を受けた専門家が「そんなこと言ってない」と声高に言っていることがあったりしたのに、ろくに取り上げていなかった。ところがそのネタが一部でウケだしたら一気にみんなで「捏造」大合唱である。他でも通販番組などで似たようなことを言っている例はあったであろう。マスコミもたたき合いでなく互いのレベルを上げる努力をしてほしいものである。

 スポンサーも広告だから視聴率が必要なのはわかるが、ある程度を越えたらそれ以上はただ数字を求めるのではなく内容の評価を考えるべきである。「あるある」捏造でスポンサーは要らん汚点を付けられたとでも言いたげだが、スポンサーに金を出させるために視聴率を上げようとし、視聴率を上げるためにインパクトを求めて捏造したのだから、スポンサーにも一部責任があるといっても過言ではない。

 数字が誇りというのは精神的におかしい。そういった「一番」を追い求めるのが「美しい国」に必要とされているようだが、真の美しさは数字の争いにより互いをけ落としあうネオコンの姿勢ではなく、内容についてより磨きをかけ互いに切磋琢磨する姿勢にこそあるはずで、そこのところを勘違いした人が多いいまの世の中を何とかしなければ「美しい日本」(国じゃないよ)はなかなかできあがらない。つくり(アメリカに)あげたい誰かさんの陰謀にみんな踊らされすぎである。

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2006年9月21日 (木)

気になる「サハリン2」の記事

 サハリン2に関しては、WWFなどが環境保全への取り組みが万全でないとして推進を懸念している。現在出資しているシェル(55%)、三井物産(25%)、三菱商事(20%)に加えてEBRDが出資しようとしていた状態だったが、ロシアは急に事業を中止させる決定をした。

 どうせロシアは今後事業に自国企業を入れて来るであろうことは容易に想像できるが、問題にしたいのは朝日新聞の記事(2006/9/19)。これを取り上げたのが経済部だったからなのかもしれないが、環境問題については全くコメントなし。シェルの油流出に対する「策なし」状態が問題視されていたのに、記事はシェルが日本の企業を裏切ってロシアの企業に乗り換えたこととか、あてにしていたガスと石油が入ってこないかもとかそういうことだけを書いている。

 そもそも地球資源には限りがあり、このテの資源も掘って出るのは短期間、一瞬のボロ儲けに過ぎない。太陽資源の開発に対して投資を考えなければいけない時に、余計な石油は垂れ流しで後の問題を増やすばかりの安いボロ儲けをあてにしている経済はどうかしている。今後経済関係も短期の稼ぎのことばかりでなく長期的な視点で最終的な出入りまで考えて善し悪しを語るべきである。

 それともここは儲けて、付随する環境汚染はその後改善のために別の投資対象とするか。自分で汚して、それを戻すのをビジネスにする。まるで戦争で商売する連中と変わらない。

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