2014年9月30日 (火)

小さな充電池

 ヤマダ電機の500円券が9月いっぱいなので、かみさんにまた単3型ニッケル水素充電池を買ってきてもらった。
 かみさん曰く、「容量は90mAh少ないけど2万回使えると書いてあったから18000回よりいいと思って」。2万回?いつの間にそんな大胆な進歩を?2千回ではなくて?
 見たら2千回だった。それでもかつて500回だったことから考えると結構な進歩である。
 2万回充電できるとしたらそれは売りになるのか考えた。充電にぼちぼち時間を要するので1日1回充電するとして、1年で365.25回、10年で3652.5回、54年9か月余り使える。いくら充電池とはいえそんなに長く使うか?
 それで思い浮かんだのが例の歌だった。
 小さな単3充電池 おじいさんの電池
 100年いつも働いていた ご自慢の電池さ
 おじいさんの生まれた朝に 買ってきた電池さ
 いまは もう 0ボルト その電池
 100年休まずに 放電充電
 おじいさんといっしょに 放電充電
 いまは もう 0ボルト その電池

「いまはもう動かない」じゃないの?とかみさん。電池は動きませんから。残念。

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2013年10月 5日 (土)

自己満足と愛情の違い

 仕事の帰り道、道端の空き地にいる地蔵の前に花が整然と生けられているのを見た。こまめに手入れをしている人がいるのだろう。大切にされているのがわかる。
 地蔵はものを言わない。同じく墓もものを言わない。生きている人以外は花をもらっても何も言わない。死んだ人も然り。死人に口なしだ。
 生きていれば、花をもらった人は何らかのリアクションをする。喜んでも、無表情に受け取っても、気持ち悪がって拒否しても、それは何らかのコミュニケーションである。花はコミュニケーションのきっかけとして利用される。そしてそれらの花は大抵の場合、その美しさ、華麗さゆえに用意されたものである。
 花をもらう人はこのきっかけに何らかのリアクションをするべきと一般に考えられる。するべきとされるのは、花をあげた人の気持ちを考えてのものである。花をあげる人はリアクションを期待している。自分に具体的な利益を与えても与えない結果になっても、もらった人が喜ぶことである程度満足する。

 満足する、ここに花をあげる人の最大の目的がある。花をあげるのは、実は自己満足が最大の目的であり理由である。花をあげることに満足する。時に花をあげている自分が好きだったり止められなかったりする。全く慣例的に仕方なく花を用意する場合を除き、花を渡す人には自己満足がある。
 相手が死人なら、少なくとも本人のリアクションはない。葬式なら、家族や友人に喜ばれるかもしれない。それもまたコミュニケーションだが、死人とのコミュニケーションは完全に生きているものの妄想である。たくさんの花を手向けられた人は「きっと喜んでいる」、それは生前のその人がそういう人だったという、生前のイメージを喜ばせているのであろう。だがその人のオリジナルの魂は既に消えている。
 某動物園で、あるネコ科の動物が死んだとき、その動物園は流行に乗って献花台を設置した。少なからぬ人に愛されていたその個体には豪華で色とりどりの大小の花束が手向けられていた。そして、その中に近くで引っこ抜いたと思われる、土だらけの根が付いたエノコログサがひと株置いてあった。

 エノコログサも死んだネコに手向ければ自己満足に過ぎないが、しかし愛に溢れている。ネコが豪華絢爛な花束を喜ぶか?答えは明らかに「NO」である。猫に小判とはまさにこの事だ。こう言っては叱られそうだが、ネコに花束は残念ながら大いなる自己満足と言える。ネコはイネ科の植物を好んで食べる。食べるといってもその後で吐いてしまうことが多いのだが、でも好きなのである。そしてイネ科であるエノコログサの穂は猫じゃらしである。程度に差はあるが、ネコ科の動物はみんな猫じゃらしのあの動きが好きである。フラワーアレンジメントにも使われるエノコログサを穂と葉と両方手向けたことには、自己満足の中にも本当の意味で相手を愛する気持ちが感じられる。それがわからず「きれいな」「整った」花束を手向ける行動には、儀式や儀礼という人間の自己満足にまみれて真に注ぐべき愛情の本質が見えなくなってしまった文明精神の恥ずかしさのようなものを感じずにはいられないのである。
 私はどちらかといえば、真の愛情のほうを求める人間であり続けたい。

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2011年6月24日 (金)

なぜインディ我戸川なのか(2)

 その話はみんなそんなに喜んでネタにしていたわけでもなかったが、「先生を怒らせた」というような感じで話は広まっていた。その後何かの関係で聞いたのが「先生あの後で泣いていたんだってよ。なんか授業が生徒に響いていなかったのがショックだったみたい。」
「だったら何で最初にオレに当てるんだよ。」当時そう言っていたと思う。まあ彼女の運のなさだ。
 もちろん女性の切り替えの早いところで、次の授業からは何もなかったかのように進めていて、松井を当てることも無かったが、それでもこちらは「泣かした」とか言われていたので気になっていて、でも謝るのもなんか変だなと思っていたら、何かの時に中学の同級生のあっくんがなぜか私の通う高校に来ていて、その国語教諭とニヤニヤしながら仲良く私の話などしているのに遭遇して私のことを知っていたらしい事などが判明して、まあどうでもいいことだがその国語教諭は冬の高校の初心者向けスキー教室ツアーに彼氏と現地合流でやってきて次の年にたしか結婚して退職した。あの一件が影響したとかしないとかその後任のやはり若い国語教諭に話を聞いたが(この人もかわいいけどおしゃべりで、私の事を知るなり「あなたがあの松井くんね、○薗先生を泣かしたっていう」などと言ってきた)、知ったことではない。
 この一件で私の「書き物」に対する考えに一区切りあった。誰が何と思おうと書きたいことを書けばいいのである。世間に高い評価を受けた小林秀雄の評論も無名の高校生に一蹴されてひと悶着あったりするのである。難しく真面目な文章で伝わらないより、言いたいことを言いたいように書いて評価されればそれでいいかと思う。二葉亭四迷はいいお手本だと思った。
 話はかなり回り道をして、私はいろいろなところにつまらない(結局つまらない)文章を書くようになった。文章を書くのに二葉亭四迷とか江戸川乱歩とかそういう気の利いたペンネームを作りたいと思った。しかし時事問題の皮肉を書く文にあまりちゃんとしたペンネームを考えるのもおかしく、ポーをもじったという江戸川乱歩と当時いろいろと話題だった角川をもじって我戸川安余(がどがわあんよ)という名前を作った。あんよは歩くという言葉を幼児語にして、いかにももじった感じを丸出しにしたつもりだったのだが、見る人はみんな「やすよかと思った」といい空振りの感じだった。しかも私が書いていると気づいていない人も少なからずあった。
 このペンネームでしばらく続けていたが、吹奏楽部だった私は2年の終わりの定期演奏会で「レイダースマーチ」の1st.トランペットを吹いていた。ふざけて「インディと呼んでくれ」などと言っていたが誰もそんな風には呼ばなかった。その年の夏に「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」が公開されると、いつもふざけあっていた1年後輩の仲間たちが急に「インディ先輩と呼ばせてください」などと言いだした。私は貧乏なので映画を見に行くことなど無かったのだが(しかも一応受験生)後で聞いてみたら映画の中で「インディアナは飼っていたイヌの名前じゃないか」と最後にショーン・コネリーが言っていた。それで彼らはわんこの名前を私に進呈してくれたのである。以降しばらく私は部内で「インディ」と呼ばれていたので、インディと付ければ私が書いていると気付くし、「やすよ」問題もカタが付くので「インディ我戸川」をペンネームで使うようになった。それからずっとそのままいろんなところでハンドルネームなどに使っている。
 ベンジャミン伊東とかバッテン荒川とかエスパー伊東とかマックス桐島とかそういう人を意識したわけではないのだが、耳に残っていたのは間違いない。でも簡単にまねしたわけではなく、いろいろあったのである。
 いわゆる「青春」していた人とはちょっと違う感じだが、高校の頃をいつも思い出す機会があるというのも面白い。(おわり)

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なぜインディ我戸川なのか(1)

 へんてこなペンネームにも多少のイワクがある。
 高校生の頃、私にはターニングポイントがいくつかあった。そのひとつは、文を書くのが嫌なことから楽しいことへと変化したというものであった。
 中学生の頃までは文章を書くということがどんなものかわかっていなかったと言える。そもそも文を書くのは伝えたいからである。記録も、未来の自分を含む誰かに伝えたいことを残すものである。なんだかしきたりやまじめさや雰囲気に惑わされて「伝えること」というもっとも根本的な目標が見えていなかった気がする。中学生の頃にも機会はいくつかあった。友人が壁新聞に書いた文章が面白かったり、試しに「日記」として書いた文章が友人に思わずウケたりしてちょっとその気になったこともあったが、しかし次の機会に打ち砕かれた。ウケを狙おうとするとネタに詰まる。なんだか芸人さんたちの気持ちを理解したような時期だった。
 高校の時はいろいろな本を読んだ。国語の教科書は早々に読んでしまったので、授業中に違う本を読みふけっていたこともしばしば。事件は現代国語で小林秀雄の評論を題材にしている時に起こった。
 何が事件か、結果から書けば国語の担当教諭を泣かした形になったのである。私はこの小林秀雄の評論がつまらなくて仕方なかった。近代の漱石とか龍之介とかの作品をいじっているのだが、当時の私にとって「おまえの意見なんてどうでもいいよ」という感覚だったのである(すみませんね、小林先生)。そんな評論より小説の方を授業の題材にしたかった。
 で、国語の担当教諭は新人だった。新人といっても味の素でOLをやっていたという人で、教員になりたかったが就職活動の成り行きで大手に入ってしまってラッキーだったが、やっぱり教員になりたいと思い直して試験を受け直して県の教員になったと話していた。この教員がなぜか私のことを知っていて、最初の授業のあとに呼ばれて何事かと思ったら中学の時の同級生となにやら知り合いだった。それでうわさ話を先に聞いていたらしい。だが人を呼びつけたりする割には詳細を話さない。イケイケでもないが(注:当時の用語を使用しています)、まあおしゃれで教員にはあまりいないタイプの若者だった。なんだよこいつは、と私もなめてかかっていた。
 それで彼女が最初にネタにしたのが小林秀雄だった。国語も高校に入ったらこんな事をネタにするのよ、といった感じで実に活き活きと授業をしていた。小林の着眼点について熱く語っていた。しかし残念ながら私の心には何も響かなかった。むしろ嫌いになった。
 そんな私の空気を読むことなく(読めるはずもないと思うが)、しかし彼女はかなり重要なポイントで大きなミスをした。というか私には全くその重厚感はなかったが、彼女にとっては大きな基準点だったらしい。多分小林秀雄をネタにする最後の授業で、残り10分か5分かというところで、彼女はこういった。
「では、小林秀雄の近代文学に対する評論を読んでみた感想を聞かせてください。じゃあまずは、……」
ここまで書いて私ははたと手を止めた。あれ?最初に当てられたのだったかな?しかし、他の人のお手本みたいな感想を聞いたような覚えもあるし、どうだったかな?覚えている人がいたら教えてほしい(いるかな?)。
 たしか、私は最初に当てられたと思う。「松井くん。」私は思った。ええ?ここで当ててくるか?これまで文章中の言葉が何を指しているかとかそんな質問ではいっさい当ててこなかったのに。私は差されたので立って、しばらくモジモジしていた。
「んー、何というか、そうですね……。」
今思い返せば当時の国語教諭は23-4の女の子(失礼)だが、彼女はまだ希望を持って(?)言った。「何でもいいよ。どんな風に思ったか、この授業の内容もね。」
そう言われると素直に感想を言うしかあるまい。「……正直、つまらない話でした。それぞれの小説や小説家の技法をどう思うかは読む人それぞれで、感じ方はいろいろだと思うけど評論家だからってその人の考えや感じ方をこうして授業で押しつけられても困ってしまうし、テストではこの人が思ったように回答を書くわけですよね。自分としては納得が行かない人の意見を書かなくてはならないのは苦痛です。先生の授業がという以前に素材がつまらなかったので授業がどうだったかという評価はできませんが、総じてつまらなかったのは事実です。」とちっとも悪びれることなく答えた。
 するとこの教諭は声をうるうるさせながら「私、正直ショックです。私がこれまで授業で話してきたことは伝わらなかったのかなって思うと、しかも松井くんみたいに客観的に見ていると思う人に言われたらなおさらショックです……。」おいおい、多感な年頃の高校生相手にそんな感情的な対応するか?と後で思ったが、その時はこちらがドギマギしてしまった。しかも論理的でも何でもないので何とも返しようもないではないか。私は黙って立っていたが「もう結構です。座ってください。」と言われてこのどうしようもない雰囲気から逃げる手だてもなく黙って座った。たしかその後でもう2人くらいに感想を聞いて、そこでけっこう優等生な感想を述べていたと思う。それを聞いた後にこの教諭は「私は小林秀雄の見方に共感したし、こういう見方ができるのってすごいなって思ったのでこの教材を使いました。たしかに人それぞれあるとは思うけど、テストでは授業でやった内容の回答を正解にさせてもらうのでそのようにお願いします。」と言っていた。
 それで授業が終わったのでとりあえず言い訳しておいた方がいいかと思いこの教諭に近づいたが「ごめん、今ちょっと何も話したくない。」とかわいい声だが少しいらついたような言い方でひと言残してその場を去った。友人が近づき「大胆だね、入学して間もないのに新人とはいえ先生の授業にケチをつけるとはね。」と話しかけた。入学早々だからいくらかでもマジメにすごそうと思っていた時期だけに「こんな事になって大丈夫かな」と思ったし「作者にケチをつけただけで先生にケチつけたわけでもないよ」と言ってみたりした。この時から既にクラスでは浮き始めていたのかもしれない。
(つづく)

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2011年4月 9日 (土)

少しはブログも

ココログにすっかり御無沙汰。地震関連などで忙しかったのもある。
Twitterではブツブツつぶやいているのだが、mixiも頭の中から完全に追い出されている。

震災直後は電話がつながらず、携帯メールも開通したのは2-3時間後だった。その時にツイッターやSNSの投稿は途切れず連絡手段として非常に役立ったという。インターネットは元々軍事用に開発されたもので云々はその後ニュースで時々聞いた。通り道を多数持っているので、電波のやりとりさえできていれば、インターネットに入ることさえできれば、それぞれのサーバが死んでいなければ、連絡手段として有用である。

それはともかく、これまでの話のまとめをブログに書いてみたりする。

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2006年10月18日 (水)

沖縄へ

 久しぶりに連休を取って沖縄に行ってきた。
 前回(というか初めて)沖縄に行ったのは3年前。娘が生まれる前の年。あのときも車での移動が主だったから道をいくらか覚えていた。

 午後那覇空港に到着。すぐにレンタカーを借りて走らせる。沖縄自動車道を沖縄北で降りてうるま市の動物病院へ。野生動物の保護も受けている知り合いの先生に病院の中を見せていただく。アカショウビンやオオコウモリを見る。

 干潟を埋め立ててしまったという軍港はPAC3の陸揚げで市民団体が警察に排除されていたらしい。どこの国の警察だ?そんな港を見たいと思ったがすぐに暗くなってしまった。恩納のサンマリーナホテルへ。

 とりあえずウチナーすばとゴーヤーチャンプルーを食べないといけない。近くの食堂に行って早速あれこれ食べる。どうやら閉店時間過ぎの遅い時間に入ってしまったようだったが、最後にはうちの娘に天ぷらまで御馳走してくれた。非常に美味しかった。ホテルより南の、一番近い食堂である。

Img_0978  カゼの治りかけなのでクースーで無理するわけにはいかず、オリオンビールの缶を1本だけ買ってチビチビ。沖縄で飲むオリオンビールは気候に合って非常に美味。夜のビーチで星を見て、バルコニーではブルーシールアイスを食べてぐっすりと寝る。
 1日目はこんな風に終わった。

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2006年10月 6日 (金)

「最近の若者」論

 作家川端裕人氏のブログ「リヴァイアさん、日々のわざ」http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/でいろいろな出来事から「若者論」に関する意見が交換されている。ゲーム脳、少年犯罪、禁煙場所でのタバコを注意するか否か。これだけ近辺でいろいろあるのは、彼が自ら突入している傾向も関連しているが、しかし事件に遭遇する古畑任三郎並みに運命を感じる。

 私は職場の組合で書記長をしており、同時に上部組織で簡単な(立場上簡単では済まされないと思うが、バックアップにより多くの手間を要さず助けられている)役職にも就いている。
 そこで先日、組合の今後の組織強化について話す機会があった。組合は力のない労働者が雇用者と対等に話すために存在し、そのためには組織が大きい方がいい。単純な話。そして組織の大きさを保つためにはいろいろな世代がいることが必要である。
 来年あたりから団塊の世代が退職し始める。そして組合の加入率は若い年齢層で低くなり続けている。団塊に近い世代の人たちはしきりに「青年部」(20代)を強化するにはどうしたらよいかという対策を考えようとしている。最近の若い世代の特徴にいかに合わせるか、どうしたら気に入ってもらえるか。この話の流れでは、唯一30代(私流の計算では17歳)の私に対策についてコメントが求められるのは自然である。

 私の頭の中には、川端氏のブログからリンクされたブログなどで力説する若者?のコメントが思い出されていた。今や世間は「孤人主義」であり、他人の意見介入など邪魔なだけで何の利益も感じない。つきあうのは極少数の非常に意見が合う人だけ、その友人たちとも互いに深入りはしない。その仲間に入って来ようとする者は嫌い、自分達から興味のある人にのみ積極的に接近しようとする。説教は大嫌い、誉めてくれる人が好き。
 「最近の若いモンは」という言い方が古くからあって、今に始まったものではないということはどうやら事実である。「明日があるさ」でも歌われていた。しかし前述のような傾向は昔からあったかというとおそらく違う。これは社会の特徴=コミュニケーションツールが変化して、コミュニケーションが質的量的共に変化していることと、それに応じ切れていない教育システムに違いの要因があるということではないかと考えている。しかもその中心は、「若者」と取り上げられる20代以下ではなく、30-40代であると言っても過言ではない。と言うか、30-40代は実は未だに「若者」なのである。現在の「若者」のコミュニケーションの手本はこの世代たちである。

 「若者」だけをターゲットに考えてもその差を「埋める」もしくは「理解する」のは容易ではない。しかし間の世代をよく見ていれば徐々に起きた変化は少しずつつかめるはずである。この幅広い世代の「若者」たちには「『話せばわかる』など甘い」というコミュニケーションに対する恐怖ともあきらめとも言える虚無感を持っているらしい。もしくは、何を根拠に決めたのかわかりにくい主義主張は、変容しないと決めてかかっているようである。

 社会を考えるか、「孤人主義」に隠るか、「態度の二極化」とも言える状況があるかもしれない。ACのCFもどこまで有効か。そこには「考えること」への積極性があるかないかの差を感じる。考えることを面倒くさがることがものすごく多く、楽な手段だけを選択しようとする、それを「孤人主義」に強く感じるのである。
 考える力の欠如は戦後教育(それ以前にもあったのか?)の欠陥のひとつである。いわゆる「詰め込み」と「ケース対応」だけの「マニュアル記憶」教育は考える力を身につけさせなかった。結果、マスコミの言うことを鵜呑みにして考えない人間が増えてしまっている。前回の衆議院選の与党大勝はそういう意味で導かれた結果であり、今後それは「美しい国ニッポン」作りに継続されていくようである。
 自分達の社会に何が必要なのか、自分達のために何ができるのか、結果何が自分のためになるのか。考える力を付けることが広い年齢層に必要であり、単純作業の「脳トレーニング」は役に立つのか逆戻りなのか、興味のあるところでもある。それこそ、考える力を養えるのなら「ゲーム脳」万歳である。

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2006年8月10日 (木)

言葉の能力と難しさ

 私はいったい何をしたいのだろうと考える。

 言葉はいろいろなことを伝える。他の何かよりも回りくどく、しかし面白く物事を説明する。読む人の想像力をふくらませる。

 しかし伝えたいことが必ず伝わるとは限らない。私はあえて直球ではなく何らかの変化を加えて表現する。客観性のために違う角度から観察する。しかしそれを直球と間違えて捉える人もいる。

 昨日よそのブログで書いた文章は明らかに誤解されていた。私を知る人には誤解されようもないが、あまり知らない人に裏の裏を「表」と取られてもある意味で仕方がない。でもちゃんと伝わらなければ書いた意味がない。

 そうして私は言い訳を書き足す。言い訳も私の味なのか、それとも言い訳が要らない表現をめざすべきなのか。

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