2013年4月22日 (月)

油断大敵

 勝って兜の緒を締めよという言葉がある。逆に言えば、そういった気を抜く隙こそが人間の弱点であるということである。
 道を走る車は中に乗っている人ががんばって動かしているのではなく、人はせいぜいアクセルを踏む程度、スロットルをひねる程度で、がんばっているのは車自体であるが、なぜか坂を上りきったところで「ああ疲れた」とばかりにスピードが緩むことがある。これが渋滞の原因である。
 別にスピードが遅くなるだけのことだったら「時間がかかって困るなあ」で終わる。実態はそうではない。そういったスピードの波が不要な加減速を産み、追突などの原因となる。ヘタをすると命に関わる。だからそういうところに「追突注意」の警告文が置かれるようになる。
 右折専用信号もそうである。右折専用だからといって遠慮なくガンガン進んでいいというわけではないが、かといって不必要に減速して通過するべきでもない。右折して、右折が完了したところでホっとしてスピードが緩んでしまう車が少なくないのである。後ろではなるべくこのタイミングで右折してしまいたい車たちが急げるなら急ごうとしている。事故の温床となる。
 車に乗っていてもそんなことだから、足を使って疲れるときはもっと頻繁に危険な状況を生み出していると言える。階段の最後では、階段を上りきった、下りきったところで安心して一息つく人が後を耐えない。階段の途中でがんばっている人は早くそこを通り抜けたいし、止まりたくない。最悪の場合、階段で将棋倒しもあり得る。
 もっとも危険なのはエスカレーターの出口である。先日も混雑した駅のホームに上がったところで止まってしまい、前方と後方のどちらが有利かを検討している家族がいた。後ろからは一定の速さで次々と人が送られる。エスカレーターの機械は混雑しているからといって止まって待ってくれない。エスカレーターの事故は容易に重傷者を出す。エスカレーターを降りたらそのまま速やかに離れなくてはならない。
 これらのことから得られる教訓は、一山越えたからといって用意に気を抜くなということである。世の中には大小さまざまな危険があり、思ったより思い危険が多い。そんな簡単に息抜きポイントを作らず、自らが危険の種にならないように常に気をつけて生活することが肝心である。

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2010年10月22日 (金)

ほとんど病気

 左折の前に右に振るな、と散々言っているわけであるが、世間ではそれをやる勘違いの人たちがずいぶんと増えている。
 そもそもなぜ左折するのに右に振ることがあるのか。ホイールベースの長い車とかトレーラーのような牽引車は曲がるとき内輪差により後輪が内側に入りすぎることがある。それゆえ大きい車は後輪を右寄りに動かしてから曲がり始めるために先に右にハンドルを切ることがある。フォーミュラカーやインディカーのように後輪のほうが幅の広い場合も普通に曲がると車の前端が大きく回って行くので、アウト-イン-アウトで曲がるとコンパクトに回れる。
 そして、普通の車がアウト-イン-アウトで曲がる目的は、スピードを落とさずに曲がることにある。角度の小さい(半径の小さい)コーナーをなるべく速く曲がるためには、ハンドルを動かす角度がなるべく小さくなるような組み合わせを作ることが第一である。そのためには早い段階で徐々にコーナーのアウト寄りに車を移動させて角の頂点を後輪で踏むことを目標として緩やかにハンドルを切る。戻すときも前半の逆になるように動かす。つまりコーナーの直前で急に右に振ってもコーナーを速く通過するためには全く効率的ではない。
 そもそも安全のためには交差点を速いスピードで通り抜けていいはずがなく、しっかりスピードを落として通過しなくてはならない。スピードも大きなホイールベースもない車で左折の前の右振りは全く無意味な行為なのである。
 誰かが自動車学校でそんなアホなことを教えているはずはないが、こんなに広く伝染していることに驚きは小さくない。先日見かけたのは、軽自動車が左折の直前で右折レーンにはみ出していた。全く走り屋の様相はなく、スピードも遅いし、後輪は縁石からかなり遠いところを通過していた。はっきり言って交差点の手前で右折に車線変更かと思ったくらいである。これでは右折レーンにいても安心できない。無意味で危ない左折前の右振りを絶滅させなくてはならない。

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2009年10月19日 (月)

おばちゃんドライバーにドキドキ

 すべての人がそうなのだとは思わないが、どっきりさせられるドライバーの確率としてはやはり女性が多い。特に少し年のいった人という印象が強い。

 たとえば走っていてどこで曲がろうか迷っているのが微妙にわかり(あからさまでもない)、悩みながら急ブレーキをかけて右ウインカーを突然出してみる。でもそこでは曲がらない。曲がりたかったのは次の角だったとわかったらしく、もう一回次の角で同じようなことを繰り返しながら今度は曲がる。周りの車の都合など特に何も見ていない。

 怖いのは自信過剰なドライバーである。内輪差を気にするドライバーはおよそスピードを落としてゆっくりと曲がるものだが、最近左折の前に右にふくらむ車をよく見かける。危ないなーと思って運転席をのぞき込むとこれが女性のことがかなり多いのである。

 サーキットのコーナーを曲がっているのではない。スピードを落とさずに曲がる努力をする余裕があるのなら一時停止をする努力の方を優先してほしい。そもそもそんなイカサマ技術をどこで教わったのだろう。サーキットなどまるで縁がなさそうであるのに。

 特性というのがあって、男女差別でも何でもなく性差というのは確実に存在する。女性ドライバーはその点を客観的に分析して、自分がそういった特性を表に出していないか認識した上で運転してほしいと切に願う。もちろん、私は挙動不審な車を見かけたらなるべく離れるようにはしているが、巻き込まれそうになって冷や汗をかいたことは少なくない。

 それでいて、タクシーの運転手などほれぼれするような運転をする女性も見かける。自分を客観的に分析してよりよい運転を目指せる人は、やはりプロになっていたりするのである。事故を減らすのはたぶん、こういった人たちの存在が増えることよりも、やはりマイナス要因を減らすことにあるのだろうと思うのである。

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2007年10月18日 (木)

公道ほど危険なコースはない

 ノリックが公道の事故で先日亡くなった。

 ノリックといえば、サーキットでよく派手に転倒していた。特に、2スト500ccからmoto-gpクラスにかわった頃にはけっこういいところでミスしてひっくり返っていた。あれだけ転倒のイメージがあったのに、サーキットでは命に関わるような大ケガはしなかったと思う。

 ところが、そんなノリックも公道でトラックが絡んだ転倒では一発アウトだった。詳細は知らない。どんな転び方をして、何にぶつかったのか、どんな服装だったのか。

 サーキットでは長いストレートで300km/h以上のスピードを出すなど危険は増大するが、砂などの緩衝地帯やタイヤウォールなど安全装置も設けられている。サーキットでドライバーが事故死するのはレースにとって自殺行為であるため、レース主催者はとにかくドライバーの命に関わらないようにする。だからmoto-gpは大二郎の死亡以来、鈴鹿で開催できずにいる。

 公道は、そういう安全装置はほとんどない。なぜなら、ドライバーは危険な走行をしてはいけないことになっているからである。安全な走行を心がければ、論理的に事故は起こり得ない。問題は本人や他人が危険な走行をする可能性があるということである。ノリックの今回の事故もUターン禁止の区域で、しかも2車線にまたがってトラックがUターンをしていたという話である。方向指示器を出していなかったら、あるいは右向きの方向指示器を出していても、左に寄ったらその後右に振るとは発想しにくい。避けようとして転んでも、トラックにぶつかっても、とにかく危険なものにぶつかる可能性が高い。公道にはぶつかったら危険なものが多数ある。

 ノリックは何らかのプロテクターを着けていたのだろうか。公道はサーキットよりずっと角が多くて危険なものがたくさん転がっている。サーキットであれだけのプロテクターを着けているのに、なぜ公道では着けようとしないのか。車に避けてもらうようなルール無視の運転、歩行者同然の超軽装でのライディング。バイクの事故死亡率が高いのは、高めている者がいるからなのではないかと疑う。

 公道はサーキットより危険である。周囲が避けてくれるとも、安全運転をしてくれるとも限らない。ぶつかったら大ケガするものがたくさん置いてある。ノリックの死をもって、改めてその危険を私は思い知ることになった。

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2007年8月31日 (金)

右折待ちの心理

 ほぼ毎朝、渋滞の原因となっているのであろう車の動きにジリジリしている。とはいえ精神衛生上よろしくないのであまりイライラしないようにしている。この世の中、いろいろな意味で余裕を持って生活しなくてはならない。

 渋滞の原因のひとつに、右折待ちの車の待ち位置があるのではないかと思っている。私が数年前に自動車学校に通っていた時、路上教習で指導員は「信号のある交差点で右折待ちをする時は、よほど行き先が詰まっていなければ交差点の中央付近まで進んでからタイミングを待ちなさい。」と教えた。テキストにも右折は前に進んでから待つと書いてあったような気もするが、今すぐに確認できないので何とも言えない。
 それを思い出しながら私はいつも右折のときに交差点の中央付近まで進んで待っている。片側1車線の場合には右折希望が何台も続かない限り横を抜けて直進車や左折車が進んでいける。しかし、見ていると停止線付近か、あるいは横断歩道くらいまで中途半端に進んで待っている車が多い。先が詰まっていなければ、いくらなんでも1台くらいは右折できるタイミングは確実にあるし、信号が変わってしまっても中央付近で待っていた車がそのまま待つよりは右折してしまった方が安全である。対向車が信号無視をして突っ込んでくるなど他のモラルが悪い時が危険であり、待っている方には落ち度はない。なのに、なぜか中途半端に進んだのか進まないのかわからない程度で待っている車が多いのである。直後で待つ直進車は本当にイライラしてしまう。待たされる理由が無いからである。

 この「右折待ちの躊躇」に、私は投票率を思った。投票を棄権する人に意見を求めると「どこでも同じだと思うから」とか「投票したい人(政党)がない」とか言う。しかし、投票は国民に与えられた権利であり、この権利は自由、独立、平等のシンボルでもある。いくらかでも自分の主張なり主義に近い人物や政党に投票することは、あるいは全く受け入れられる人がいないから白票を投じに出かけるのは、参政権を得るために命がけで努力した先祖たちに対する義務と言っても過言ではない。そして投票することは決して難しくない。躊躇する理由などほとんど無い。なのに、右折待ちで前に出られないのと同様、訳もなく歩を進められないのである。

 この「訳もない躊躇」、交差点や選挙だけでなく様々なところで見かける。そして、そんな正体もないものを恐れて気を病む者を数多く見ている。事を荒立てるのを過剰に恐れ、事なかれ主義を貫こうとする。腫れ物に触れずに看過したいと思うのみだから腫れ物は悪化の一途をたどる。勇気とは何か、一歩踏み出す勇気とは何なのか、車線を塞いで微妙に止まっている車を見てそんな事を考える今日この頃なのである。

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